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【読書感想文】忘れること失くすことは救いなのか? 川村元気 百花

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どうも かぼちゃです。

【読書感想文】忘れること失くすことは救いなのか? 川村元気 百花

文春文庫 百花 

books.bunshun.jp,

・あらすじ

「あなたは誰?」。徐々に息子の泉を忘れていく母と、母との思い出を蘇らせていく泉。ふたりで生きてきた親子には忘れることのできない”事件”があった。泉は思い出す。かつて「母を一度、失った」ことを。記憶が消えゆく中、泉は封印された過去に手を伸ばす…。現代に新たな光を投げかける、愛と記憶の物語。

本書あらすじより抜粋

・著者 川村元気

1979年横浜生まれ。映画プロデューサー。作家。上智大学文学部新聞学科卒業。「電車男」「告白」「悪人」などの映画を制作。2012年に「世界から猫が消えたなら」で作家としてデビュー。

・感想

ある人のサイフが最近やけに小銭が貯まっている。片付け好きだった方なのに最近炊事場に洗い物がそのままになっている。既に家にあるものを繰り返し買ってしまってる。最近なんだかいつもと様子が違う。そうした家族の違和感や気づきをきっかけに高齢者の方の認知症が発覚するケースはよくあります。この様な事柄は認知症の初期症状の方によく見られる傾向だからです。この物語の冒頭のそうした描写を読んだ時 職業柄「おや?」と思いました。

 

認知症には中核症状というものがあります。

記憶障害 見当識障害 実行機能障害 言語障害 理解や判断力の低下 失行 失認です。

記憶障害は読んで字のごとく 記憶を留めておけない障害です。短期記憶つまり最近のことは忘れてしまう障害です。しかし長期記憶 つまり昔の出来事や古い記憶は鮮明に覚えてたりするのも特徴です。

見当識障害とは今が朝なのか?昼なのか?夜なのか?と言った時間の見当識。さらに自分が今どこにいるのかわからなくなる。例えば自宅にいるのにそこがどこなのかわからなくなり「家に帰りたい」と言ったりといった場所の見当識障害があります。

実行機能障害とは日常生活で何かを計画し実行することが出来なくなる障害。

言葉が出なくなったり 相手の言葉をオウム返ししてしまったり会話が出来なくなる言語障害。

買い物等で計算が難しくなり 小銭があってもお札で払ってしまったり 信号が赤なのに渡ろうとしてしまうというのが理解力 判断力の低下。

服を着る スプーンを使って食事をするなど日常動作が行えなくなるのが失行という障害。

自分の身体の状態や物との位置関係 目の前にあるものが何かを認識し難くなる失認といいます。

これらを認知症の中核症状といいます。

さらにこの中核症状が引き金となって起こる症状がBPSD(周辺症状)と呼ばれる症状です。

BPSDには 徘徊や妄想 幻覚 興奮 意欲低下などがあります。

それらは初期症状に起因していて 例えば記憶障害が原因で「ここにあったサイフがない。ヘルパーの○○さんが盗った。」といった「妄想」や 失行やその他の障害が重なり 思うように出来ないことが続き結果ひどく興奮したり 逆に意欲が低下したりといった症状。記憶障害や見当識障害が原因で もう息子は成人してそれなりの年齢になっているのにも関わらず「幼い息子が学校から帰ってくるから迎えにいかなきゃ」と外に飛び出し どこに行けばいいのかわからなくなってしまう「徘徊」といった症状があります。

 

物語前半の主人公泉が感じる母への違和感はまさに認知症の初期症状 中核症状の出現です。それには母百合子も気付いていて 最初はうっかりだと思っていたことが続く様になり 今まで当たり前に出来ていたことがなぜか出来なくなる。わからなくなる。 認知症の症状が少しずつ進行し本人も「これはただのうっかりではない」と問題を自覚し始める。変化していく自身への不安や焦燥 混乱の描写がとて生々しくて感じました。

特にある場面の百合子の頭の中に目に映るものと記憶 思考や想いや言葉 いろんなものがごちゃ混ぜなって頭の中を駆け巡るような描写。多くの認知症の方と接してきた介護職の観点からも「今まで関わってきた認知症の方々はこういう世界の中に生きているのでは」と思ってしまう程リアルに感じました。

そしてそうした認知症の初期症状から始まり さらに引き起こされる徘徊や興奮 幻覚等のBPSD。それらが母百合子だけでなく 主人公泉やその家族も巻き込み苦しめていく。

介護職として日々目の当たりにしている認知症の患者とその家族の姿がこの物語の中でもありありと描かれていて それが胸が締め付けられるような気持ちになりました。

その人らしさとは その人本人が今まで築き上げてきた記憶やもの生活歴です。

認知症はそうしたその人らしさをかくも無残に奪いとっていく恐ろしい病気です。そしてその恐ろしい病気が決して珍しい病ではなく将来 認知症に罹るのは5人に一人とも6人に一人とも言われるほど身近で厄介な病気です。

 

しかし かぼちゃが介護の仕事に携わり始めたころ ある先輩上司がこんなことをいっていました。

 

認知症っていうのは神様の贈り物だと思う。

人間は歳をとるといろんなことが出来なくなっていく。

容姿もどんどん老いて変わっていくし 昔の様に働くことも出来なくなるし 元気に動くことも出来なくなる。日常生活でいろんな失敗して誰かのお世話になったり 迷惑をかけたと思うことも多くなる。

段々一人では生きていけなくなって 誰かに頼らざるを得なくなる。

ありがたい と思う気持ち。

でも

迷惑をかけて申し訳ないという気持ち。

うまく出来なくて悲しいという気持ち。

恥ずかしいと思う気持ち。

 

もう耐えきれないと思うかもしれない。

 

でも認知症は全部忘れさせてくれる。わからなくしてくれる。

悲しいもごめんなさいも恥ずかしいもありがとうも 良いも悪いも平等にみんなわからなくなって 本人はニコニコしながら生きてそして死んでいける。

周りの家族は凄い大変だけど 本人にとっては苦しんだり悩んだり誰かに気を使って生きていくよりは幸せなことやと思う。

だから認知症って神様が人生の最後にくれる贈りものだと私は思う。

 

概ねそんな内容だったと思います。

その先輩の言葉が正しいのか間違っているのかは今でもわかりません。

答えは実際に認知症を患っている本人とそれに関わり寄り添う家族 それぞれの中にあると思います。

でもこの「百花」を読み終えた時 忘れていく 失くしていくことが必ずしも悲しいことだけではない。なんというか 救いの気持ちが込められている気がして ふと昔の先輩上司の言葉を思い出しました。

 

川村元気著書 世界から猫が消えたならもオススメです。

以前の書いた記事もよければご覧ください。

kabocha-8.hatenablog.com

 


 

 

ここまで読んで頂きありがとうございます。

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