【読むトレイルラン】ランニング始めた頃にタイトルに惹かれて共感しまくった村上春樹のエッセイ
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どうもかぼちゃです。
村上春樹と言えばノルウェイの森だったり 海辺のカフカだったり1Q84だったり有名作品多数だけど かぼちゃは全然それらの作品には触れてこなくて
でもなぜかこれだけはタイトルに強烈に惹かれて手に取って読み耽った記憶があります。
【走ることについて語るときに僕が語ること】
読むトレイルランって トレランじゃなくてギリランニングなんですが…
ランニング始めた頃にタイトルに惹かれて共感しまくった村上春樹のエッセイ
本書との出会いはもう随分昔 ランニングを始めて数カ月の頃。
初めて参加したハーフマラソンで手痛い思いをして 落胆しつつも
「よーし来年こそは!」と意気込んで 月間200㎞以上を目標に!と日々黙々と走っていた時でした。
冒頭にあるランナーの言葉があって それが当時 ランニングを始めて間もなく しかも本とか有名人の言葉に感化されやすい かぼちゃの心を刺しました。
「痛みは避けがたいが 苦しみはオプショナル(こちら次第)」
著者によれば 例えば走っていたとして「ああ きつい もうダメだ」と思った時
(きつい)というのは避けがたいことだが (もうダメ)かどうかは自分次第だよね。
概ねこういう意味だそうで
当時 今よりずっとロードでタイムを縮めるのに躍起になってたかぼちゃにはとてもストイックな印象のフレーズだったけど ちょっとクールダウン期な今見てもこれはこれでモソモソと胸の内を擽られる言葉です。
とにかく本書を本屋で数ページパラパラとめくってこの言葉は見つけたかぼちゃは次の瞬間 気が付くとレジの前で本書に掛けるブックカバーを選んでるっていうくらいキラキラ輝いたフレーズだったのです。
ざっくりとあらすじ
本書は著者村上春樹氏が自らのライフワークである走ること と小説を書くことについて綴ったエッセイです。
小説家村上春樹が日々走ることには理由があって
小説を書くこと
つまり自分の中から自分が心から納得する作品を生み出すことは 想像も出来ない程のハードワーク。
それは物語を創出する頭脳労働だったり 朝から晩まで机に向かって書き続ける肉体的なものだったり 精神面の安定だったり…。
長い人生を少しでも長く小説家として送っていくのなら体力作りと心身の健康維持という面で走ることは必要不可欠。
そして著者曰く
マラソンで常に優勝を狙うようなランナーは別として
多くのランナーとってそうであるように自分にとっても走ることで誰かに勝ったり負けたりすりことは大きな問題ではなくて 走り終わった時に何かしらの目標(タイムなり 何某か手応えなり)を自分の中で達成できたのか もしくは得ることができたのか?が重要で その点において小説を書くということと 走るという行為には似通った点もいくつもある。
作品の発行部数や文学賞等はあることに越したことはないがそれらは決して重要なトピックではなくて 結局書き終えた作品に自分が満足できているのか否かが本質だという。
でも何より走るという行為を長年続けれた理由は
結局性分に合ってるから と長く走る事にそれほど苦痛に感じないからだ。
感想
ざっくりとですがこんな感じで著者が自分で切り盛りしていた飲食店をある日閉め
専業小説家として生きていくことを決意し小説を書き 走りはじめ 走ること 書くこと 生きることについて想うことを様々なレースの描写と合わせて淡々と綴っていくという内容。
決して専門的なトレーニング方法等の類は一切出てこず ひたすら著者の想いが書き綴られていくのですが それが決してトップアスリートやエリートランナーのかけ離れた感性というわけでなくて 日々走ることが日課だけど 鈍足ランナーでもあるかぼちゃにも「あっ この感じ 分かる!」と共感する
所謂「市民ランナーあるある」 なことをオシャレに言語化文書化してくれてる様なエッセイ。
そしてやっぱりランニングっていいよなぁて改めて考えさせてくれる1冊です。
ちょっと走ることに煮詰まったなら 少し触れてみるのもいいかもしれません。