かぼちゃのトレイル日和

トレイルランを中心に 走ること 読むことについて綴っていくブログ

【読書感想文】幸福と悲劇の世界のただ中に自分はそこにあるという事 西加奈子 i(アイ) を読んで。

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彼の名はアイラン・クルディ

 

ずっと忘れてた もう随分前の記憶 思い出して暫し悲壮な想いに駆られた。

 

 

一時ネットニュースなどで話題になったある1枚の写真。

赤いシャツの小さな男の子が 波打ち際で横たわる。

内戦から逃れようとシリアから脱出を試み 転覆したボードから投げ出され海岸に流れついた3歳の男児の遺体。

あまりに鮮明で まるで眠る様に横たわる姿が どこか現実味のない風景写真の様で

当時 長男がまだ小さいこともあってこの1枚の写真に胸の奥が強く締め付けられる感覚を覚えた。

同時にこの理不尽な悲劇に不安と憤りのような感情を芽生えた記憶がある。

 

書店で何気なく手に取りレジに運んだその1冊。

 

西加奈子 「i」

 

この一冊の文庫本が悲壮との邂逅のきかっけだった。

 

「この世界にアイは存在しません。」

 

印象的な一文から始まるこの物語は一人の女性のアイデンティティをめぐる物語。

 

主人公であるアイはアメリカ人の父と日本人の母親 その養子という特殊な生い立ちから 自身の豊かな家庭 恵まれた環境が不当な幸せを享受しているとある種コンプレックスを抱えながら成長していく。

 

繊細な感受性故に恵まれた自身の境遇に 世界の様々な悲劇 テロリズムや紛争 災害などで日々失われていく命に対して 後ろめたい感情を抱える彼女はいつしかノートにそれら世界中の悲劇の犠牲者の数を書き記し続ける様になる。

自分だけがこの世界から切離れた場所にいる虚ろな存在であるかの様な感覚。

 

孤独感と疎外感は違う。これも作中の印象的な一文だ。

 

しかし 様々な出会いや出来事を経て彼女は変わっていく。

いつしか虚ろな虚像はしっかりと輪郭と陰影持っていく。

強く 確かな 自分という存在意義。

 

自分(i)とは何なのか?

 

愛とは?

 

彼の名はアイラン・クルディ

物語終盤  その1枚の写真について語られる描写がある。

 

その描写に数年前に覚えた あの感情を思い起こす。

 

見ず知らずの自分とは無関係の子供。しかしその理不尽な世界の不均衡のという悲劇に。

当時 この悲劇の1枚が世に出た時 世界中の多くの人が同じく心を痛めたのではないだろうか?

難しいことはわからない。物語のアイの様に世界の悲劇に対して敏感に何かを感じる人間では自分はない。

グローバルな社会の情勢に造詣があるわけではない。

でも作中にこんな一文がある。

 

「私たちには分からないけど、分からないからこそ、悲劇に想いを馳せて、考える時間が深くなる。その時間をきちんと過ごして、向かい合ったからこそ出来ることがあると思う。それがどういう行動に繋がってゆくかは分からないけど。」

 

悲しむことに欺瞞も偽善もない。

知ること 想うこと

「i」が一つ 答えを提示してくれた様な気がした。

 

 

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